歴史と伝統のある戸田市立戸田中学校(埼玉県)。今、規律を重んじる校風に、新しい風が吹いています。授業においては、ICTを利活用しながらPBL型への変革が、現場の教員主体で進んでいます。その背景にはどのような学校経営方針があり、先生方はどんな思いで取り組んでいるのでしょうか。管理職および現場の先生方のお話と、授業実践から探っていきます。
新たな目標を掲げ、全面的にPBLを導入
戸田中学校は昨年度(2022年度)まで、学校教育目標に「凡事一流」(当たり前のことが当たり前に継続して行うことができ、さらに思考・判断し応用できること)を掲げていた。今年度(2023年度)同校に着任した校長の山田一文先生は、引き続きこれを基盤として置きつつも、学校教育目標は「自主協調」に刷新した。そこに込めた思いを、山田校長はこう語る。
「予測困難な世の中を力強く生き抜くために、生徒が主語になって自ら課題発見、判断、行動できる『自主』と、全員で納得できる答えを見つけるために互いの意見や考えを尊重できる『協調』を組み合わせ、学校教育目標にしています。長年受け継いできた学校教育目標の変更は生半可にできることではありませんので、強い信念をもって行いました」
校長 山田一文先生
その目標実現に向けた具体策の一つが、教育活動全体におけるPBL(Project Based Learning:課題解決型学習)の推進だ。総合的な学習の時間などの一部の時間のみならず、あらゆる教科の授業や学校行事、学級活動、委員会活動などにPBLの考え方を導入していこうと取り組んでいる。山田校長がPBLを重視する原点には、数年前、PBLを中心としたユニークな学校運営を行うアメリカのチャータースクールHigh Tech Highを訪問した経験があるという。
「High Tech Highの斬新な学び方や子どもたちの姿に衝撃を受け、これからの学校にはこのような学びが必須だろうと、ストンと腹に落ちました。ただし、High Tech Highとまったく同じようにすればよいとは思っていません。PBLの考え方や実践を、日本の教育のあるべき姿とうまくミックスすることで、より豊かな発想力や表現力を育んでいきたいと考えています」(山田校長)
学校研究主題には、2022年度より「対話的・協働的な学びが非認知能力を高め、学力を伸ばす ~PBSからPBLへ~」を設定している。従来から取り組んでいたPBS(ポジティブな行動支援の実践)に加え、PBLに重点を置く教育活動を行うことで、生徒の対話的・協働的な学びを促進し、非認知能力を高め、ひいては学力向上にもつなげる考えだ。
「授業に対話や協働を取り入れ、『これを覚えなさい』ではなく『自分たちで考えなさい』と生徒に委ねることが増えると、最初は学力が下がるように見えるかもしれません。しかし、自分で考えて獲得した知識は忘れなくなり、本当の学力につながるのではないでしょうか」(山田校長)
同時にICTの学習活用にも力を入れる。現在、生徒の意見の集約やプレゼンテーションなどにロイロノート、反復学習や自習用にスタディサプリ、定期テストの採点にEd logクリップ採点支援システムの活用など、多様なツールが日常的に活用されている。
ICTを利活用し、学んだことを生徒自身が解説できるようにする
実際にどのような授業が行われているのか、1年生の数学と2年生の英語の授業を見学した。
まず数学は、主幹教諭の矢作浩章先生が担当する「図形の移動」の2時間目、「図形を移動させるために必要な情報は何か」をテーマとする授業だ。
「△ABCをどのように動かすと△A’B’C’に重ね合わせることができますか」
「赤の三角形を青の三角形の位置に平行移動させるには、どのように移動すればよいだろう」
矢作先生が投げかける問いについて、生徒は手元のタブレットで数学学習・数学教育用のデジタルツールGeoGebraを使って、図形を自由に動かしながら考えていく。時にはタブレットを離れ、三角定規やコンパスを使って紙の上で三角形を平行移動させる活動も行う。学習の要点は、矢作先生が生徒の意見をつないでまとめていく。最後は、その日に学んだことを使って、生徒一人ひとりが「平行移動のやり方」の解説書をロイロノートにまとめる。作成方法は自由だ。ある生徒は、紙面上での平行移動のプロセスを1コマずつタブレットで撮影し、その画像を矢印でつないでいく。ネットワーク上にあるほかの生徒の解説書を閲覧し参考にすることも可能だ。授業後、矢作先生にインタビューを行ったところ、この日のように、矢作先生はほぼすべての授業でタブレットをノートのように使用しているという。
また、多くの授業の最後には、テーマが図形の場合は今回のような解説書の作成、計算の場合は手順書の作成を課し、生徒自身で学習内容をまとめている。課題をどうクリアするかを生徒自らが考え、自分の言葉で表現するプロセスは、小さなPBLとも言えそうだ。
「本日のような授業の締めくくりとしてオーソドックスなのは、三角形の形や向きを変えて何パターンかの平行移動の演習をすることでしょう。しかし私は方法さえ身につければどんなパターンの問題にも対応可能になるとの考えから、解説書の作成の時間としました。動物が生きていくためには『食物を与える』より『狩りの方法を教える』ことが大事だといわれますが、それと同じように、自分で解説できるぐらい深く方法を理解することに重点を置いています」(矢作先生)
矢作浩章先生(主幹教諭・数学科/教員歴16年目)
同様の趣旨で、GIGAスクール構想以前は一部の単元にて、ノートに手書きで4コマ漫画の解説書を作成する課題を実施していた。それがICT環境の整備によって現在のような方法が可能になり、多様な単元で行うようになった。
「手順を写真に撮って並べることや、コピー&ペーストの機能を使うことで、紙への手書きに比べてスピーディーに直感的な資料を作成することができます。教科の得意・不得意にかかわらず取り組みやすいようです」(矢作先生)
矢作先生がこのように積極的に授業改善に取り組む根底には、「数学の学習を通して、数学的なものの見方・考え方を育みたい」という思いがあるという。
「日常生活で数学を役立てることができるよう、数学を通してもっと大きなものを教えられたらと思います。例えば、時速何kmで走行すると何分後に到着するか予測するなど、数学的に考えることが、冷静な判断・行動につながるでしょう。一方で、現実の社会は数学で計算したとおりにはいかないものですので、そのギャップの面白さも伝えたいですね」(矢作先生)
今後については、「もっと生徒一人ひとりが進度や内容を任せる授業に挑戦してみたい」と、自由進度学習への意欲を語った。
自由進度学習で学びに向かう力を育む
その自由進度学習に挑戦し始めた教員もいる。英語科の鵜瀬輝空先生だ。
この日、鵜瀬先生が行った2年生英語の授業も見学した。単元「World Heritage Sites(世界遺産)」の1時間目で、授業のゴールはさまざまな種類の世界遺産について英語で表現することだ。教科書に掲載されている「世界遺産には3種類ある」という英文を基に、それぞれの種類には具体的にどのような世界遺産があるのか、各自がインターネットで調べ、ワークシート上に分類していく。
個人で進める生徒もいれば、数人で話し合いながら進める生徒もいる。どの生徒もそれぞれのペースで頭と手を動かし、学びが止まっている生徒は見受けられない。鵜瀬先生は教室内を回って、誤解のある生徒には「これは本当かな?」などと疑問を投げることで、生徒自身の気づきを促す。
ワークシートが進んだところで、世界遺産には3種類あることを英語で伝え合うペアワークを実施。教科書に書かれている内容だけでなく、ワークシートを示しながら、「For example~」「Such as~」「As for~」など本時で覚えるべき文法を使って各自が調べた具体例を盛り込んで話す。楽しそうに取り組む生徒の多さが印象的だ。
鵜瀬先生がこのような自由進度学習に取り組み始めたのは、今年度の2学期に入ってからだという。
「私自身が、生徒が自分で考えて見通しをもって取り組む力を育むPBLの重要性を学ぶなかで、その力を総合的な学習の時間だけで育成することの難しさを痛感し、日常の授業でもPBLの経験をさせることはできないかと考えるように。夏休みにさまざまな書籍で学び、2学期から自由進度による授業の実践を始めました。まだ思いどおりにいかないこともあり、改めて『教員の仕事は何だろう』と考えながら試行錯誤しているところです」(鵜瀬先生)
鵜瀬輝空先生(英語科/教員歴4年目)
鵜瀬先生の自由進度学習の実践を何度か見学している教頭の藤田政貴先生は、「この授業はICTの利活用なしには成立が難しいだろう」と指摘する。インターネットを使った情報収集やタブレットでのスライド作成などを取り入れたからこそ、生徒主体で取り組むことが可能なようだ。
「これまで教員を経由して得ていた知識を、誰でも自ら直接得られるようになりました。だからこそ教員は生徒の『知りたい』『学びたい』という気持ちや学びに向かう力を育て、自ら知識を得ようとする行動につなげていくことが、一層重要になってきていると感じています」(鵜瀬先生)
今、鵜瀬先生が最も難しさを感じているのは、「どこまで生徒に任せるか」だと言う。例えば、授業と関係ないおしゃべりをしている生徒がいるとき、教員が注意するのではなく自分たちで気づかせるにはどうしたらよいか。英語が苦手な生徒同士で取り組んでいてうまく発展させられないとき、得意な生徒を巻き込むことを教員から促すべきか。課題の提出期限を守れなかったとき、できなかった理由と対策を生徒自身で考えさせるにはどう声かけしたらよいか。クラスや時間帯によっても異なる、適切な声のかけ方やタイミングを模索しているところだ。
「一斉授業と比べると、教員は自由に動くことができます。その時間を使って、生徒たちが何をしているのか、どこまで内容をわかっているのか、どんなことに躓いているのか、私自身が生徒のところに行ってもっと理解を深めてしていきたいと考えています。そのなかで、生徒に委ねる範囲や適切な働きかけも少しずつ見えてくるのではないでしょうか」(鵜瀬先生)
対話から生まれた判断基準と、学び合う環境が、教員の挑戦を後押し
同校ではなぜ、このように教員がそれぞれの思いをもって授業改善を進められているのか。取材からは、主に2つの要因が見えてきた。
一つは、「自ら人生を切り拓く生徒」という目指す生徒像を、教員の最上位目標として共有していることだ。
「この生徒像は、2022年度の教員研修にて、全教員が『どんな戸田中生になってほしいか』を考え対話した内容から定めたものです。現在、授業のほか、学校行事、委員会活動、学級経営などあらゆる場面で、複数の選択肢がある場合は『自ら人生を切り拓く生徒』につながるほうを選ぶという判断基準になっています」(藤田教頭)
教頭 藤田政貴先生
山田校長は、この生徒像によって教員の意識が変化してきたことを感じているという。
「上から押しつけられた目標ではなく、教職員がみんなで考えて決めた点が重要です。そのプロセスには時間はかかりますが、納得感がもてるものは確実に浸透、定着していきますので、決して遠回りではないと思います」(山田校長)
教員が挑戦する背景としてもう一つ見えてきたのは、教員が前向きに学び合う場があることだ。
同校では、全体研修とは別に学びたいことに応じたチームで研修を行っている。今年度は4チームが生まれた。例えば国語と英語の教員が結成したチームは、「情報の偏りをどのように扱うか?」「主体性の評価方法」「主体性の引き出し方」をテーマに設定して学んでいる。研修内容は各チームで自由に企画し、外部講師を招く場合は対話中心に実施する。
「生徒に個別最適な学びを提供しようと思うなら、教員も個別最適に学ぶことが大切です。研修の場を、教員が自分たちで考えてより良い道、新たな方法を探し出す機会にしたいと考えています」(山田校長)
また、授業でのICT利活用については、今年度、学校全体でICT実践発表会を開催。教科を横断してICT利活用の事例を共有した。
「ICTのように未知のものへの抵抗感は誰にでもあるものです。そのなかで効果的なのは、知らない人の実践例をたくさん提供するより、身近な人の具体的な成功事例をじっくり知ることだと思います。参加者はその場で気軽に対話しながら、自身の挑戦を後押ししてもらえます。単なる“情報”ではなく、自身で使うことのできる“知識”として共有でき、ICT利活用の推進につながっています」(山田校長)
2023年6月に実施したICT実践発表会の様子
納得感のある判断基準に基づき、教員同士が学び合いながら、授業や学校を変えていこうという機運が高まる同校。伝統校であるがゆえに地域の注目も集まるが「最近学校が変わりましたね」と声がかかることもあるという。次は保護者や地域との連携にも力を入れていくという。
「雑談や遊びの要素も取り入れながら、教員同士が腹を割って対話ができる関係性を大切にしてきました。学校と保護者や地域などの関係性においても、やはり対話が必要だと思います。笑顔で言いたいことを言い合える関係づくりをしていきたいですね」(山田校長)
戸田市立 戸田中学校
1947年創立/生徒数660人/埼玉県南東部の荒川を境に東京都と接する地域に位置し、歴史と伝統のある戸田中学校。全国的に知られるボートコースに隣接し、校章はボートのオールをかたどったもの。学校教育目標は「自主協調」。
発行:2024年1月 ※先生・生徒の所属・学年などは取材時のもの
取材・文/藤崎雅子