【戸田市教育長】何もしないことが最大のリスク。「凡庸な90点の取組」より「60点でも夢のある挑戦」を

教育長インタビュー

国のGIGAスクール構想に先駆けて、2016年からICT教育に力を入れてきた戸田市。「特別な予算もリソースもない」というなか、学校現場や教師の意識改革が進み、今では数々の先進的な実践で全国をリードする存在です。なぜこのような改革が可能だったのか、そして今、何を見据えてGIGAスクール構想の第2フェーズに向かっているのでしょうか。2015年から同市教育長を務めるとともに、中央教育審議会をはじめ多くの審議会・有識者会議の委員を歴任している戸ヶ﨑 勤氏にお話を伺いました。

3K(経験・勘・気合い)からの脱却などを掲げ教育長就任以来、教育改革を推進

戸田市の教育といえば、少し前まで、子どもの学力面・体力面、非行問題行動や不登校などさまざまな課題があり、教員志望者からの人気もありませんでした。潤沢とは言えない市の教育予算は、人口増加に伴う子どもの増加に対応するためのハコモノに割かれ、ソフト面に回らないという厳しい状況です。そんな戸田市の教育長を、2015年4月に拝命しました。以来、4つのコンセプトを掲げて教育改革に取り組んでいます。

1つ目は、AIでは代替できない能力とAIを活用する能力の育成です。具体的には21世紀型スキル、汎用的スキル、非認知的スキルなどになります。

2つ目は、産官学と連携した知のリソースの活用です。東京に隣接する本市は、市外からの流入者や都内通勤者が非常に多いなか、地域に根差した活動はしにくい状況です。一方で、そんな立地だからこそ、多様な産官学連携が可能であり、それも新しい分野に先陣を切って挑戦する“ファーストペンギン”になれば、最先端かつ質の高い教育を最小限のコストで提供できるのではないかと考えました。

3つ目は、経験、勘、気合いという“3K”から、客観的な根拠を重視した教育への転換です。これまでの学校現場では、先生方の経験と勘と気合いに基づいた学校経営、教育活動が行われてきました。その根拠を言語化・可視化・定量化し、若手に継承していく必要があります。当初はEBPM(Evidence-based Policy Making/根拠に基づく政策立案)、現在はEIPP(Evidenceinformed Policy and Practice/エビデンスを参照した政策と実践)を掲げ、量的・質的エビデンスの活用を重視しています。

4つ目は、授業や生徒指導を科学することです。優れた教師の経験や勘、匠の指導技術を言語化・可視化・定量化するなど、暗黙知の共有化や形式知への転換を図る必要があります。

こうしたコンセプトの下、具体的な取組をSubject(授業改善)、EdTech、EBPM、PBL(Project Based Learning/課題解決型学習)の4つを柱とする、その頭文字を用いた「SEEPプロジェクト」として整理し、改革を進めています(図1)。

柱の1つであるEdTechについては、2016年から端末1人1“アカウント”に向けた体制整備に取り組み始め、ICTの利活用による授業改善を求めてきました。ICTの特性を活用すれば、学びの多様化や深化、学習の基礎となる情報活用能力などの育成のほか、従来は伸ばせなかった資質・能力の育成、不登校や病児療養など特別な支援が必要な子どもたちに対する細やかな支援など、その可能性は無限大です。しかしながら、当時はまだGIGAスクール構想もなかった時期で、ICT教育に対する否定的な意見が大半でした。そのなかで「Just do it」「百聞百見は一験にしかず」をキーワードとし、まずは実際にやってみることによる腹落ちを目指して推進してきました。


【図1】戸田市の教育改革の取組
Subject、EdTech、EBPM、PBLを柱とする取組の全体像が示されている。拡大図

社会を知ろうとしないのは極めて不誠実。
リスクを恐れず挑戦を

こうしたコンセプトや具体策を掲げても、当初は“笛吹けど踊らず”で、学校現場が変わる気運はなかなか高まりませんでした。転機となったのは、新しい学習指導要領の中に「社会に開かれた教育課程」という言葉がキーワードとして出てきたことです。

これはどういう意味なのか、学校と教育委員会が議論を重ね、本市教育委員会なりの解釈にたどり着きました。それが「変化していく社会の動きを教室の中に入れよう」ということです。社会の変化はすぐそこの校門までは来ているが、職員室の中に入っていない。それを教室の中にまで入れていこう。そのために真剣に議論する「学び合う職員室」になろう。そんな方向性を共有したことをきっかけに、学校現場が変わり始めたように思います。

そのなかで私が繰り返し言ってきたことは、目の前にいる子どもたちが出て行く社会を教師が知ろうとしないのは極めて不誠実であるということと、リスクを恐れるなということです。「新しいことをやって叩かれるぐらいなら、やらない言い訳をしているほうが楽」と何もしないことが、実は最大のリスクです。リスクを恐れて凡庸な90点の取組をするより、60点でもいいから夢のある挑戦をしていこう。そう繰り返し発信することで、学校の自走を後押ししてきました。

私自身、社会の動きを教室に入れるとはこういうことかと、実感したエピソードがあります。ある学校がプログラミング教育について県の研究委嘱を受け、企業の協力を得ながら取り組んでいたときのことです。研究発表を行った際、その教室の中で3つの著名な外資系ICT企業の方々が、この子たちにはどんな教材が適切か、自分たちは教育にどう貢献できるかと、ライバル関係を超えて白熱した議論を始めたんです。これからの教育はこれだ!私は電気が走ったような衝撃を受けました。その後、連携企業がコンテンツを試作するという具体的な動きにもつながりました。教師だけでは決して起きないことが、教室の中で創出される現場を目の当たりにし、産官学との連携が非常に重要であるとの思いが一層強くなったものです。

約100の産官学連携を推進
“材料”を用意し、“料理”は学校現場で

現在、約100に及ぶ企業や大学などと連携して、新たな学びの創造、GIGAスクール構想の推進、誰一人取り残されない教育の推進など、幅広い分野の取組を行っています(図2)。例えば、GIGAスクール構想関連では、前述の3社のほかIT系や教育系企業、大学など約30社・団体と連携しています。

本市の産官学連携の特徴の1つは、市の予算をほとんど使わずに実施していることでしょう。本市と連携することによって、すぐさま利益に直結しなくても、長い目で社会貢献や事業の参考につながる点にメリットを感じていただいている企業・団体と、Win-Winの関係性で取り組むことができています。

もう1つの特徴は、連携の橋渡しによる学びの“材料”は教育委員会が用意しますが、その“料理”は各学校に委ね、各学校の主体的な取組を引き出していることです。例えば、すべての市立学校が集まって開催する校長会議では、連携を求める企業・団体にプレゼンテーションを行っていただき、それに対してやりたい学校が自由に手を挙げることにしています。

そんなふうに材料を用意しても、面倒なことを自らやろうとする学校なんてない、と思われるかもしれません。実際、本市もかつてはそんな状況でした。しかし今は違います。前述の校長会での産官学プレゼン後は、各校が我先にと競うように手を挙げ、取り合いになることもあります。さらには、提供される材料だけでは足りないと言わんばかりに、自ら仕入れに動く学校も。教育委員会が知らないうちに何やら連携していて、その活動がマスコミで取り上げられて初めて知ることも少なくありません。


【図2】戸田市の産学連携の状況
同じテーマでも学校によって異なる企業が関わっていたり、同じ目標の下で複数の企業がつながって情報交換しながら取り組んでいたりと、さまざまな連携方法のバリエーションが見られる。

「働きやすさ」と「やりがい」の両立で学校現場の意識変化が加速

なぜそのように学校が変化したのでしょうか。

大きな理由には、子どものためになると心から思うと自ら突っ走るという、教師の性があるように思います。その気持ちを刺激するような良い材料を提示できるかは、教育委員会の腕の見せ所。ただし、産官学から要請されたら何でも受けるのではなく、明らかに学校側の負担となるような単なる調査協力などは外し、子どもが最高のパフォーマンスを発揮するための支援という本来業務につながることにターゲットを絞って現場に提示するようにしています。

各校が産官学連携に取り組んでみて、働き方改革につながったことも大きいと思います。本市の小中学校教員の在校時間は、5年前と比べて約30%減少しており、県内ではトップクラスの自治体になっています。それも、単に勤務時間が減ったのではなく、「働きやすさ」と「やりがい」の両立が実現することを体感できつつあるのではないでしょうか。

もう1つ、学校の変化を支えてきたと思われるのが、市内18校すべての小中学校が研究委嘱校かつ視察校とし、特別な学校をつくらないことです。最近も岸田総理をはじめ文部科学省やこども家庭庁などの視察がありましたが、警備など特別な事情がある場合を除いて、各校に均等に機会を割り振るようにしています。それが自分たちも認められているのだから頑張ろうというモチベーションや、良い意味での競争意識につながっているのかもしれません。見られれば見られるほど美しくなる―つまり、こうして外の風にさらされることで磨かれる効果や教師の意識の変化は大きいと考えています。

形式的な平等主義にとらわれずGIGAスクール構想の第2フェーズへ

ICT教育についても、産官学連携の下で進展してきました。早い段階からICT活用に取り組んできたこともあり、SAMRモデルで言えば、ほとんどの学校でAの段階(増強)にまで達しています(図3)。次の段階、授業デザインが変容するM段階(変革)に進めることは簡単ではありませんが、数校はこの段階に入りつつあります。

教育委員会は各校のステップアップを支援するものの、全校でラインを揃える必要はないと考えています。全部が揃ってから動き出すような形式的な平等主義にとらわれていては、何も始まりません。凸凹があってもいいから、それぞれの良さを伸ばすような公正主義こそ大切です。ICT教育についても、すべての学校が最終のR段階に到達する必要はなく、道徳教育や地域協働などほかの分野でうまくいっているものがあれば、それを徹底的に伸ばすことに力を入れてほしいのです。

こうして現場のICT利活用が進む今、GIGAスクール構想も第2フェーズに向かっていくときです。本市では産官学との連携の下、次のような取組に挑戦しています。
●教育データの利活用(学びのカルテ、生徒指導上のSOS早期発見など)
●戸田型オルタナティブ教育(多様なニーズに応じ、落ちこぼれも吹きこぼれも、誰一人取り残されない教育へのトライアル)
●デジタル・シチズンシップ教育の充実やメディアリテラシーの挑戦(危ないから使用を制限する教育者主体の「情報モラル教育」から、安全な枠内でおおいに使い小さな課題を解決しながら学ぶ学習者主体の「デジタル・シチズンシップ教育」へ)
●学校と家庭とのシームレスな学び(クラウド化の深化や反転学習)
●デジタル教科書やCBTが快適に機能するネットワーク環境の強化
●高度で最先端の学びを実現できる「次世代のメディアルーム」
●公立小・中学校でのSTEAM教育の基盤づくり


【図3】戸田市版SAMRモデル
SAMRモデル(Ruben.R.Puentedura 2010)とは、ICTが授業にどのような影響を与えるのかを示す尺度。戸田市では上記のように捉えている。 『令和4年度 指導の重点・主な施策


企業との連携により、ある学校に次世代メディアルーム「STEAM Lab」を開設し、先端テクノロジーを活用したSTEAM教育に取り組んでいる。

戸田市で生まれた種をほかの自治体にもお裾分けしたい

ご紹介したような取組について、「戸田市だからできるのではないか」とよく尋ねられます。冒頭にお話ししたとおり、戸田市は特別な予算もリソースもない、ごく普通の自治体です。そこでできているのですから、その気になれば全国どこでもできるのではないでしょうか。

全国に目を向ければ、素晴らしい教育の取組が“点”として数多くあります。しかし、それが自治体全体や自治体間をつなげるような、“線”になかなかなっていきません。それだけ難しいことなのです。だからこそ、自治体の枠組みを超えて広がろうとすることが、日本全体の教育の転換を図っていくうえで非常に大事だと考えています。

政策波及が少しでも進めばと、本市では視察や講演の依頼は極力引き受け、何でもオープンにし、「何か欲しいものがあればどんどん盗んでいってください」と伝えています。教育にも“旬”があります。今は注目されていても、数年先はどうなるかわかりません。一番おいしい旬のものを、ぜひ他の自治体にもお裾分けしたいと思っています。

戸田市で生まれた種が、皆さんの手でさまざまな場所に運ばれ、そこで芽を出し、たくさんの花を咲かせてくれる。それが今、私の一番の夢です。


Profile

戸ヶ﨑 勤 とがさき つとむ
小学校および中学校の校長、戸田市や埼玉県の教育委員会を経て、2015年4月から現職。第12期文部科学省中央教育審議会委員をはじめ、内閣官房教育再生実行会議、経済産業省「未来の教室」とEdTech研究会、文部科学省教育データの利活用に関する有識者会議など、多くの委員を歴任。


●自治体プロフィール
・人口:14万2,038人(2023年5月1日現在)
・公立小学校:12校/児童数8,047名
・公立中学校:6校/生徒数3,735名

埼玉県南東部に位置し、荒川を境に東京都と接している。都心へのアクセスの良さから人口増加が続いており、特に子育て世帯の増加が著しい。商業施設や産業が充実している一方で、彩湖・道満グリーンパークや戸田ボートコースなど多くの公園や水辺空間があり、水と緑あふれる街並みが特徴。

●GIGAスクール環境
・導入端末 小学校・中学校/Chromebook
・2016年よりICT環境整備に着手。授業におけるICT活用の指標として独自の「戸田市版SAMR モデル」を作成し、ICTを文房具化した活用を目指している。
・産官学との連携により、教育データの利活用、戸田型オルタナティブ教育へのトライアル、デジタル・シチズンシップ教育の充実やメディアリテラシーの挑戦などに取り組んでいる。


発行:2023年7月 ※所属等は取材時(2023年6月)のもの
取材・文/藤崎雅子 写真(p1、2教育長)/鈴木 忍 デザイン/渡部隆徳、熊本卓朗(KuwaDesign)

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