御前山小学校3年生の道徳授業で、自分自身の考えや学びの振り返りにタブレットの掲示板ソフトを活用。
2020年に就任した鈴木定幸市長が市政策の重点項目として学力向上を掲げる常陸大宮市(茨城県)。児童生徒の学力向上に何が必要か、学びに向かう集団づくりのために、緻密な現状分析を行い、ICTの効果的な導入により授業改善を目指す同市の取組について、教育委員会学校教育課の皆さんにお話を伺いました。
多様なデータ調査を組み合わせ、児童生徒の実態を客観的に把握
学校教育のなかで郷土愛を育み、地域とのつながりを大切にした教育活動を営む「郷育立市」を宣言している常陸大宮市。同時に、これからの社会で広く活躍する自律した人材育成にも力を入れ、教育振興基本計画の第一に「学力向上」を掲げている。
「学力とは社会に出たときのチケットだと考えています。学力を上げることで視野が広がり、子どもたちの将来の選択肢が増えることにつながるからです」(課長補佐 長嶋健一氏)
学力向上は市政の重点項目としても掲げられている。その実現のために、2022年度に「確かな学力育成プロジェクト」が教育委員会に設置された。プロジェクトには「学級づくり・集団づくり部会」と「授業づくり・授業改善部会」がある。
「私は授業づくり・授業改善部会を担当していますが、子どもたちが学ぶ基盤となる学級が安全・安心で居心地のいいものでなければ、授業改善も、ひいては学力向上も図られません。まずは良い学級づくりを考えることから着手しました」(指導主事 宮田英和氏)
最初に行ったのが、データによる徹底した現状分析だ。市内の全小中学校でhyper-QUテスト(子どもたちの考え方の癖や、学級の満足度などを測る調査)を実施。また、標準学力調査のNRT(集団基準準拠テスト)とCRT(目標基準準拠テスト)、NINO(認知能力検査)を行うことで、子どもたちのさまざまな学力や思考をデータ化した。これらのテストを同時に導入している自治体は多くはなく、茨城県内では常陸大宮市が初めてだという。
「保護者にもご理解いただきやすいよう、本市では学力の3要素を『学力の樹』とたとえています(志水宏吉著『学力を育てる』より引用)。知識・技能が“葉”、思考力・判断力・表現力等が“幹” 、関心・意欲・態度が“根”です」(宮田氏)
保護者向けに配付されたリーフレット『子供の学力向上を目指して』の中で、学力を樹にたとえて説明した図説。
前述の調査テスト類は、“葉”を測るのがNRT・CRT、“幹”を測るのがNINO、そして“根”を測るのがhyper-QUテストだ。
「いくら授業改善を進めようとしても授業に集中できない集団であれば、確かな学力にはつながりません。また、“根”の部分が弱いと、予測困難な状況が訪れたときにすぐ樹が倒れてしまい、せっかく身につけた学力も無駄になってしまいます。まずは“根”の部分をhyper-QUテストで見取り、学級改善を図るのが基本です」(宮田氏)
「hyper-QUテストによって自分のクラスの子どもたち一人ひとりがどんな状況か、学級に対して満足しているのかが見えてくるので、先生たちの学級づくりに活かせるのです。また、hyper-QUテストとNRTの結果をクロス集計することで、顕著に表れる子どもたちの学びの特徴も知ることができます。例えば、ある児童生徒は学級には満足しているけれど、学習においては支援が必要であるとか、別の児童生徒は学習は定着している一方で、学校生活において支援が必要などです」(指導主事 圷 友美氏)
市では各小中学校の先生からなる「学級づくり・集団づくり部会」に対して研修会を実施し、調査結果のデータを提供したうえで、結果をどう授業支援に活かすかの分析を行っている。
「学びに向かう集団をどうつくっていくかを先生方に研修で学んでいただき、それが現場での授業づくりにつながっていくと考えています」(圷氏)
データ分析の結果から学習の個性化を図るために、ICTを利活用していく
なぜ常陸大宮市ではここまでの調査・データ分析を行ったのか。
「本市のみならず全国的な課題ではありますが、ミドルエイジの教員が少ないことにより、教員の経験値が継承されにくいことがあります。近い年齢の先輩の背中を見て学ぶ機会が減少し、目の前の教室の状況をどう捉えればよいか、若手教員が判断するのが難しいのが現状です。データで数値化・可視化すると、どんな先生でもクラスの現状が理解しやすくなると考えました」(長嶋氏)
児童生徒や学級の状態をデータ分析によって把握したうえで、現場の先生たちによる授業改善はどんなことが期待できるだろう。
「今までの一斉授業ではなく、子どもたちそれぞれが課題解決に向かって、自分の個性に合った解決の手立てを選択するような授業になるのではないでしょうか」(圷氏)
「認知能力検査(NINO)によって、例えば視覚優位なのか言語優位なのかなど、個々の子どもたちの考え方の個性もわかります。個別最適な学びや学習の個性化と言われることですが、知識の定着方法にも個性があります。板書を写しながら覚える子、友達と対話しながら覚える子、書くよりもタブレットで写真を撮った方が覚えやすい子などです。そうした学びの個性化の対応にICTの利活用への期待は高いです」(宮田氏)
常陸大宮市全体としてICT利活用が進んでいると感じているという。教育委員会でも現場でのICT利活用についての情報収集を重ね、好事例は授業改善部会の実践レポートとして先生方に共有している。
例えば、ある小学校の道徳の授業では、その日のテーマについての自分の心情変化を、タブレット上に心情曲線として描いてクラスで共有していた。登場人物の心情に寄り添いながら、デジタル教材を駆使して児童たちが色を付けたり比率を示したりと、心情の移り変わりが一目でわかるように工夫された授業だった。
「道徳での心情曲線は隣の子の考えがとても気になるものですが、一覧画面で共有することで、みんなの考えや自分と同じ考えの仲間の存在を知って安心感となり、それが発言しやすい雰囲気にもつながっていました」(宮田氏)
タブレットを活用し、「心の数直線」(心情曲線)を共有する大宮西小学校3年生の道徳授業。
教員間の関係性の強化、児童生徒の自己肯定感醸成にもICTが大きなツールに
ICTの利活用は教員によってさまざまだが、教育委員会では教材や指導案、授業で使いやすいソフトなどを共有できる「ICTポータルサイト」を2023年に開設した。
「まだできたばかりですが、先生方に有効に活用いただけるようサイトの周知を進めています」(主幹 大貫真利江氏)
「授業指導に長けているベテランの先生たちが作った教材をたくさん入れてもらって、若手がそれを利用する循環が生まれることが理想です」(長嶋氏)
教育委員会が開設した「ICTポータルサイト」。ICT活用事例の情報や授業で使える素材を共有したり、先生たちが情報交換できるチャットルームなどを用意している。
「実は現場では若手とベテランの知見の好循環が進んでいて、ICTの使い方は若手の先生が提案して、ベテランの先生は授業改善や指導方法のポイントなどを提案する。若手とベテランがお互いの意見を交換しながらWIN-WINの関係性で授業をつくり上げていく姿が見られる学校もあって、こちらにとっても学びになりました。それをポータルサイト上でも行えると、学校を超えたつながりとなって全市に広がっていくのではないかと期待しています」(宮田氏)
「ICTがベテランと若手をつなぐ大きなツールになっていると感じています。また、学級づくりにおいても、人前ではなかなか話せない子どもが、タブレットの共有機能や付箋機能を使えば自分の意見や思いをクラスの仲間に表出できる場が多くなったと感じています。自分の居場所を見つけられて、自己肯定感の高まりにも役立っているのではないでしょうか」(圷氏)
グループ内で自分で作成したスライドを基に説明する大宮西小学校2年生の国語の授業。
御前山小学校5年生の算数の授業で、タブレットに記入した自分の考えを説明し合い、共有している場面。
大宮北小学校1年生の国語の授業。タブレット上のホワイトボードのマーカーやメモ機能を活用して、自分の考えを整理している様子。
さらに教育委員会では、導入しているスタディサプリやAIドリルの授業現場での活かし方を提案する「ICT活用マニュアル」も作成している。
「我々から先生たちにICT活用の可能性を示しますが、現場では紙の教材がなくなるわけではないと思います。従来の教材とICTのベストミックスは各先生に任せ、最適なかたちを試行錯誤してもらいたいと思っています」(長嶋氏)
学校でのICT利活用と同時に進めているのが、家庭学習での利活用だ。「確かな学力育成プロジェクト」では、授業づくりと学級づくりと共に家庭学習を柱の一つに掲げ、三者の相乗効果による学力向上を目指している。授業だけでは知識の定着を図ることが難しいため、家庭学習の重要性を保護者にも広報している。
「宿題だけでなく家庭学習で何をすれば良いか各ご家庭でも悩むところですので、そこでスタディサプリやAIドリルを活用していただければと思っています。タブレットで講義動画を見たり、ドリルを解くことで楽しく学ぶことをきっかけに、家庭学習が習慣化していくことが大事だと考えています」(指導室長 関 好美氏)
教育委員会が作成し共有している「スタディサプリ活用イメージ集」のインデックス。授業や家庭学習のどんな場面で活用できるかの具体例を提示している。
常陸大宮市での学びを、将来子どもたちが誇れるような教育を
今後もさらにICTの利活用推進に期待がかかる常陸大宮市。教育委員会の皆さんに今後の展望について伺った。
「とにかく良いと思うツールは入れているので、先生たちに活用してほしいですね。この市に住む保護者の立場として自分自身の子どもにも、良い教育を受けて育ってほしいという思いがあります。自分ごとのように市の児童生徒たちのことを考え、教育環境づくりを考えていきたいです」(大貫氏)
「本市の子どもの未来のために、学力を底上げしていくためには、使えるツールは何でも導入する覚悟でいます。それを現場の先生方に活用してもらえるよう尽力していきます」(長嶋氏)
「私自身にも小学生の子どもがおり、市内の学校に通っていますが、最近はタブレットを開いて楽しそうに勉強をやり直している姿をよく見るようになったのです。帰宅後に授業の復習や自分の学びをタブレットで行う子どもたちが増えていったら良いなと思います」(圷氏)
「子どもたちには自分が育った市で受けた学びを自慢できるようになってほしいと願っています。そして、予測困難な時代のなかで、どんな有事の際にも学びを止めないシステムを常に作っておかねばならないとコロナ禍で痛感しました。昔は学級閉鎖があると教員がプリントを印刷して配付しに行っていたのが、ICTがある今は自分のデスクから宿題を配信し、子どもたちの進捗状況も瞬時に確認できます。そうした教育システムを常に進化させていくことが必要だと思います」(宮田氏)
「ICTを活用することで友達の意見を取り入れながら自分の意見も発信できます。1コマのなかで自分が主体的に関われる時間が増えることで、授業が楽しくなると思います。“関わる”ことが大事なので、そのツールとして子どもたちにはどんどん使ってほしいですし、先生方にもその視点で利活用してもらえたら良いですね」(関氏)
自身の英語のプレゼンテーションの様子を録画したものを見直している山方中学校3年生。
Interview▲常陸大宮市教育委員会の学校教育課の皆さん
(写真左から)主幹 大貫真利江氏、課長補佐 長嶋健一氏、指導室長 関 好美氏、指導主事 宮田英和氏、指導主事 圷(あくつ) 友美氏
【about 常陸大宮市】
●自治体プロフィール
人口 3万7400人(2023年11月1日)
公立小学校 11校 児童数1555名
公立中学校 4校 生徒数803名
茨城県の北西部に位置する県で2番目の面積の市。その60%が森林原野が占める緑豊かな自然環境に恵まれている。旧石器時代や縄文時代の遺跡から発掘された歴史的文化財が多数所在する。
●GIGAスクール環境
・導入端末 小学校・中学校/Chromebook
・児童・生徒用はWi-Fiモデルを導入。
・Google Workspaceのほか、講義動画の「スタディサプリ」やAIドリルソフトを導入。市教委側からだけでなく、現場からの要望で導入ソフトを検討し、より学校の実態にあった学習環境の整備に努めている。
発行:2024年1月 ※取材対象者の所属などは取材時のもの
取材・文/長島佳子