豊田市立元城小学校2年生の算数の授業
コロナ禍によるGIGAスクール構想の前倒しにより、全国の自治体はいかに早く、生徒の学びを止めずにICTの環境整備をするかの課題を突きつけられました。緻密な計画の下、学校現場の負担を最小限に留めながら、スピード感をもって配備を進めてきた豊田市教育委員会・教育センターの方々に、経緯とこれからについて伺いました。
端末の調達と並行して環境整備に着手
先を見越した予算確保が鍵
豊田市は、2016年から5カ年計画の「学校教育情報化プラン」を策定し、電子黒板機能付きプロジェクタ、ノートPC、書画カメラなど、学校現場のICT化を進めてきた。国のGIGAスクール構想を踏まえて計画を修正し、2019年度末の段階では、豊田市は2023年までに全小中学校に1人1台のタブレット整備を目指し順次着手する計画だった。
そして訪れたコロナ禍。学校が一斉休業となった最中に教育センターの所長に着任したのが緒方秀充氏だった。
「コロナ禍の混乱でICT化の加速を予想した前任の所長が、指導主事たちだけではGIGAスクール構想を乗り切るのは難しいと考え、私の着任と同時に行政職の1名増員を実現してくれました」(緒方氏)
それが市の情報システム課にいた足立憲治氏だ。教育センターは2020年4月に、2023年度までの整備計画を見直し、2020年度中に整備する方針を定め、児童・生徒全員の早期のタブレット端末導入に向けた予算取りに動く。
「小1から小3までの児童への学習用タブレット整備が前倒しされたことにより、補正予算の要求が必要となりました。通常は6月の議会で補正予算を諮り、9月の議会で財産の取得の議決を頂く流れになりますが、国がGIGAスクール構想の前倒しを通達したことで、9月には全国で端末が不足することが予想されました。児童・生徒、教員分含め約4万台を必要とする本市は、少しでも早く動かなければ確保が難しい。そこで、上席の皆さんが各所の調整に走ってくださり、6月の議会で財産の取得までの議案を同時上程し、議決を頂けたのです」(足立氏)
4万台は分割納品されたものの、2020年の年末にはタブレット端末の全数が業者から納品された。
ハードの整備とともに豊田市が早くから力を入れたのが、情報セキュリティとネットワーク環境の整備だ。
児童・生徒の全員がタブレットを持ち、家庭に持ち帰るとなると、あらゆるトラブルを想定する必要がある。特にタブレットの中には生徒たちの個人情報が記録されているため、機械的、人為的なエラーの双方が起きた場合に、情報流出を食い止める策を講じておかねばならない。
「トラブルが起きると端末の使用が停止になり、授業で使えなくなり、現場の混乱は避けられません。それを回避するために、市の情報セキュリティポリシーに則り、教育センターがどうセキュリティに取り組むかを、最初の段階で丁寧に決めていきました。扱う情報の種類や範囲、ネットワークの組み方、問題が起きた際の対処法、先生たちへの研修などを細かく策定し、個人情報保護審査会に諮りました」(足立氏)
また、従来の豊田市のネットワークでは、授業で全児童・生徒が端末を使用することで通信量が増加し、その影響が市内全校に及んでしまうボトルネックが生じやすいネットワーク構成だった。そこで通信負荷を軽減させるために、学習系の通信をデータセンターで集約せずに、学校から直接インターネットに接続するローカルブレイクアウト方式に変更し、2021年の2月までに整備を完了した。文部科学省が「学校からのインターネットの接続編」としてGIGAスクール構想の追加標準仕様書で同様の通達をする数カ月前に既に着手していたことになる。
“つなげる子ども”の育成を目指す
ICTで広がる学びの可能性と教員の役割
豊田市には地域全体で子どもを育てようという風土がある。教育行政では「地域ぐるみで学び合い」というキーワードの下、市民が共につながりながら、未来を創造することを強く押し出している。
「地域ぐるみで子どもを育てようとする姿勢は、今回のICT環境の整備に際し強く実感しました。我々教育センターの働きかけに対して、市議会、校長会、関連する地域の事業者、市の法務課・財政課・契約課、ICTのヘルプデスクなど、あらゆる関係者の方々が、子どもたちの学びを止めない、教育に役立つのであればと、スピード感をもって対応してくださいました。すべての方々の協力があって成し遂げられたことです」(緒方氏)
こうした協力体制の下、豊田市の教育センターが短期間でICTの環境整備を進められた理由は、ICTを利活用して育成しようとする子どもたちの姿が明確にあるからだ。
例えば、市の総合計画として「つながる つくる 暮らし楽しむまち・とよた」を将来都市像として掲げ、行政の目標として明文化している。
「『つながる』ためには、子どもたちには能動的に当事者意識をもって、自ら『つなげる』力を身につけてほしいと願い、『つなげる子ども』の育成を目指しています」(緒方氏)
“つなげる”とは図のように、過去の自分と未来の自分、自分と他者、学校と家庭や地域・世界、知識や情報と知恵や新たな価値など多岐にわたる。そのためには、中央教育審議会の「令和の日本型学校教育」の答申(2021年1月)に掲げられた「個別最適な学び」と「協働的な学び」の両輪が欠かせず、ICTはその両方の学びに対し、子どもたちの新たな可能性を引き出すツールになると期待しているのだ。そして「自律」と「共創」ができる人材となることを目指している。
「子どもたちが能動性を示す場面は、質・量とも多岐にわたります。どんな場面であっても、わずかな変化を見せたときに、先生たちがそれに価値づけをしてあげてほしいのです。たとえ結果に結びつかなくても、プロセスを評価されることで、子どもたちは『一歩踏み出して良かった』と自己肯定感を得られると思います。そういう子どもになってほしい。子どもたちの小さな変化を記録し、教員が把握することに、ICTはとても役に立つと考えています」(緒方氏)
日々の活動をICTに記録することで、児童・生徒自身が自分の状況を客観的に捉えられるようになり、教員はそのデータを見ることで次に子どもたちにチャレンジしてもらうことや、投げかける問いの設計などに活用できるのだ。
【豊田市のICT導入による教育の構想】
多様な人々と共働して様々な変化を乗り越え、豊かな人生を切り拓き、未来社会を創造できるよう、一人ひとりの可能性を引き出して「つなげて創造する力」を育てる
教育センター主催のICTの研修を通して教員自身が“つなげる”体験をする
これからの教育では「個別最適な学び」と「協働的な学び」にICTを取り入れて同時進行することが理想だ。しかし、新しいICT機器の導入やコロナ禍の対応など、現場の先生たちの負担が増すなかで、さらに新しい取組を一度に押しつけることはしたくないと緒方氏は語る。
「まずは学校だからできる『協働的な学び』から取り組んでもらおうと考え、そのベースができたうえでドリル教材などを活用して個別最適な学びを積み上げていく予定です」(緒方氏)
ICTを活用してどのような協働的な学びができるかについて、教育センターの指導主事が研修を実施。104校ある市の小・中・特別支援学校は13ブロックに分けられており、ブロックごとに研修を行った。参加する先生たちが生徒役となって、協働的な学びの授業体験をする研修だ。
「各校から1~2名の先生に参加いただき、研修で習得したICTの技術や授業法をそれぞれの学校にもち帰っていただき、校内OJTで広げてもらうことにしました」(指導主事山室裕司氏)
また、機器の操作法についてはeラーニングで実施。eラーニング後のアンケートで「このスキルは同僚に教えられる」と回答した先生が、各校の情報化推進員と共に校内OJTを推進する。
学校の工夫により、ICT活用スキルに長けた若手の先生が、学校でベテランの先生たちにICTについて教え、ベテランからは授業法を学ぶという、ICTを通して先生同士が学び合う関係性やつながりが広がっているという。
「つなげる生徒を育成するためには、教員がまずつなげる先生でありたいと考えています」(緒方氏)
便利さを実感してもらうことが使命
こだわったのは現場の負担軽減
ICT導入の一連の取組で、教育センターが一貫して注力したことがある。それは現場の負担を減らすことだ。
「どの場面でも『現場の負担をいかに軽減できるか』という緒方所長の言葉が、方法を検討する際の指針となりました。例えばタブレットを学校に納品する際、パスワードは初期設定の一律のもので、納入後に各学校で子どもたちや先生がパスワードを設定するのが一般的だと思います。しかし、幼い児童たちにパスワードを考えて設定させることは難しく、先生たちにも手間がかかります。本市では、予め一人に一つずつのパスワードを決めて全児童・生徒に配付しました。子どもたちは決められた自分だけのパスワードを入れればすぐにタブレットを使える状態にしたのです」(足立氏)
その姿勢は、教育センターが作成したICT利活用のマニュアルやハンドブックにも表れている。
教員向けの『学習用タブレット活用マニュアル』には、タブレット導入の最初の3日間でやるべきことが、授業の指導案のように丁寧に示されており、その流れに沿って児童・生徒に伝えれば、タブレットの設定から基本的な使い方を教えることができるようになっている。
「学級開きと同様に、最初の3日は“黄金の3日間”です。ここでしっかり児童・生徒に伝えることができれば、あとは子どもたちの方が、上手に使っていけます」(緒方氏)
マニュアルには機器やネットワークの使い方だけでなく、授業での活用のヒント、ネットワーク障害や情報漏洩が起きた際のフロー、よくある質問などが網羅されている。さらに、二次元バーコードを多用。例えば、飛び先でわかりやすい動画解説が見られたり、児童・生徒の転出入の際はマニュアルからすぐに手続きページに飛べるようにもなっている。現場の先生たちがICT導入を煩わしいことではなく、便利なことと感じてもらえる工夫が随所に施されている。
先生たちがタブレットを配付されたその日からすぐに使えるよう、現場の状況を踏まえてわかりやすく作られた「学習用タブレット活用マニュアル」。ネットワーク障害など、トラブルが起きた際のフローなども記されている。
より詳しい解説や、参照資料が必要な場合は、二次元バーコードを読み取ると解説動画や必要な情報に瞬時にアクセスできる仕組みに。
スタディ・ログの有効活用のために蓄積されたデータの整理が今後の課題
タブレットが全生徒に行き渡った後は、それを授業でどう使うかは各学校や先生方の力にかかっている。タブレットを活用することで蓄積されていく学習データを、教員が子どもたちの未来の学びにつなげられるよう、どう整備していくかが、教育センターとして今後すべきことだという。
「個々の生徒が蓄積していくデータは膨大になっていきます。データは何でもかんでも残せばいいというわけではなく、効果的に使えるデータをいかに効果的に使うかが重要となってきます。つまりスタディ・ログの有効活用です。現場の先生たちが負担なく、データを活用ができるようにするには、どんなデータをどう分類して、何と紐付ければよいか。例えば、学力の場合は、授業プロセスと学力テストの結果に相関を見出しやすくするにはどうすればよいか。また学習以外でも、子どもたちの心理状態をセキュリティを担保しながら把握し、いかに成長に結びつけられるかなど、教育委員会としてはデータの整理を行い、現場の先生方がいかに有効活用できるかがこれからの課題となってくるでしょう」(緒方氏)
また、現在は物理的に分離している校務情報と授業情報のネットワークを統合する準備を進めている。モデル校で検証したところ、ネットワークの統合によって教員の業務効率が約2倍に上がったとの声も聞くという。
「ネットワークの統合なしには、スタディ・ログを活用した授業改革はあり得ないため、急ぎ実現したいです。近い将来、ICTは必ず学校教育の基盤となります。そのうえで、子どもたちが自分のもち味を活かしながら、チームで新しいことを共創していく。それはAIにはできないことです。共創の感覚はほかには代え難い充実感をもたらします。そうした経験を積めるのが学校の魅力です。個別最適な学びと協働的な学びは1+1を2以上にして、子どもたちに社会貢献や自己実現の喜びを感じさせてくれるでしょう。そんな未来の学校のために、学校現場と共にICTの利活用を進めていきたいと考えています」(緒方氏)
児童・生徒用にタブレットの基本を示した『使い方ハンドブック』のほか、保護者用にタブレットを学校や家庭で使用する際の約束事や情報セキュリティについて解説した『運用ガイドブック』を作成。教員用には保護者に説明する際のガイドを追記したガイドブックもある。
Interview
豊田市教育委員会(教育センター)の皆さん
(写真左から)豊田市役所 教育部 担当長 足立憲治氏、教育センター 所長 緒方秀充氏、指導主事 山室裕司氏
緒方氏と山室氏は同じ中学校で同じ学年団の担任教員として勤務していた経験がある。「緒方先生の理科の授業に生徒たちが喜んで走って行って、その授業で発見した内容を担任の私に嬉しそうにいつも話してくれていたことが印象的でした」(山室氏)
「授業で疑問や課題と感じたことを忘れずにもち続ける大切さを教えてくれた恩師がいて、その疑問を解決できたときに霧が晴れるように感動した経験が教員になるきっかけでした。子どもたちにも授業でそんな感動を味わってもらいたいですね」(緒方氏)
●自治体プロフィール
人口:42万1,280人(2021年4月1日)
公立小学校:75校/児童数2万4,062名
公立中学校:28校/生徒数1万2,019名
特別支援学校:1校/児童生徒数93名
日本三大工業地帯である中京工業地帯に位置し、世界をリードするものづくり産業の中枢都市としての顔をもつ。一方、愛知県で最も広い面積を有し、市域のおよそ7割を森林が占め、豊かな自然が広がる緑のまちとしての顔も併せもち、スポーツ、歴史、文化、芸術をはじめ、多様性、可能性を秘めたさまざまな地域資源を有す。
●GIGAスクール環境
・導入端末 小学校・中学校/iPad
・サーバとクラウドを利用したハイブリッドな運用。クラウドはMicrosoft OneDriveとSKYMENU Cloudの2種を使用。
・国がGIGAスクール構想においてネットの通信速度確保についての「学校からのインターネット接続編」の標準仕様書を出す以前から、ネットワークのLBO(ローカルブレイクアウト)を実施。動画視聴などの際のアクセス遅延防止に早くから取り組んでいる。
発行:2022年2月
取材・文/長島佳子 デザイン/渡部隆徳、熊本卓朗(KuwaDesign)